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ホステスと少年  6さくら、翔太の成人を祝う

2020/08/03

 あの劇的な夜から、三年と半年の歳月が過ぎた。

 今夜のさくらは、考えつく限りのお洒落をしてル・ジャルダンに出勤した。エメラルドグリーンのドレスは背中が大きく露わになったスタイルで、クリスチャンルブタン(・・・・・・・・・・)の銀色のハイヒールがセクシーさをさらに引き立てていた。

「さくらさん、横田さんと翔太君がお見えです」

 スタッフに呼ばれ、三階の右側の奥の席に向かった。

 今日は翔太の二〇歳の誕生日のお祝いである。翔太と横田と平瀬の三人は寿司(・・)()で食事をし、その後、揃ってル・ジャルダンに顔を見せてくれることになっていた。

 

 横田の会社は、順調に業績を伸ばしていた。

 綾乃は、横田の会社の正社員になった。

 翔太は、超難関の有名大学の医学部に進み、優秀な成績で将来を嘱望されていた。

 さくらはすっかりル・ジャルダンの売れっ子ホステスになり、年に何度かナンバー・ワンになったりもしていた。

 

 翔太は、紺色のスーツに青いネクタイを締めて現れた。一六歳の頃からまた身長が伸び、頬の線がシャープになって、少年らしさを残しながらも大人の色気が漂ってきた。

 さくらは、翔太のスーツ姿を初めて見て、どこかの国の王子様のようだと思った。

 これじゃあ、女の子にモテて仕方がないだろうなあ。さくらがため息をつくほど、惚れ惚れするような容姿だった。医者で、しかも優しい。さくらは翔太の凛々しい立ち姿をまぶしそうに眺めた。いつかお医者様の奥様に収まってみたいなんて夢も見るけれど、翔太にとっての私は、出来の悪いお姉ちゃんみたいなものなのだろう。でも、この立ち位置だけは誰にも絶対に譲らない。翔太のお姉ちゃん役は私だけだから。さくらは翔太への想いを心の中にしまい込み、せいいっぱいの笑顔を浮かべた。

 ピエスモンテ(ヽヽヽヽヽヽ)のケーキに二〇本のロウソクが灯され、お祝いのシャンパンが抜かれた。

「ハッピー・バースデー!」

「おめでとうございます!」

 ホステスたちの嬌声は、いつになく賑やかだ。

「翔太君。シャンパンの味はどうだ? 二〇歳を過ぎて、今日からは酒もたばこも解禁だな」

 横田が悪戯っぽく笑った。

「銀座のクラブで、こんなに派手に二〇歳のお祝いをする男の子なんていないわ」

 一人のホステスが言った。

「翔太君、月の庭とはかなり雰囲気が違うでしょう? 私、前に月の庭でお会いしているのだけれど、覚えてる?」

 もう一人のホステスが言った。

「あのときは、どうも。お世話になりました。今日は、待ちに待った『ル・ジャルダン・デビュー』なんです。どうしてもル・ジャルダンに来てみたくて、横田さんにお願いしたんだ。最初は大学の合格祝いにって頼んだのだけれど、二〇歳のお祝いならって言われてね」

 翔太は、少しはにかみながら言った。

「そうそう。おふくろから、さくらさんにプレゼントを預かってきたんだ」

 そう言うと翔太は、丁寧に包装された長細い箱を取り出した。

「さくらさんに手渡してねって言われたよ」

「ここで開けてもいいかしら」

 さくらは、翔太と横田、他のホステスたちの注目を浴びながら、細長い包み紙を開けた。中から出てきたのは、満開の見事な桜木が描かれた宮脇賣扇庵の扇子であった。さくらは、艶やかな桜の花が描かれた扇面を、皆に見えるようにテーブルの上に大きく広げた。漆で塗られた親骨にもさくらの模様が描かれていて、骨の滑りのなめらかな、匠の美を究めた最高級の扇子であった。

「綾乃さんによろしくお伝えください。私の名前のさくらの扇子、凄く、すっごく嬉しい」

 綾乃は幸せそうな表情を浮かべて扇子を抱きしめた。

 

 翔太は、念願の「ル・ジャルダン・デビュー」をするのだと言って、新調したスーツを着て銀座へ出掛けて行った。

「早めに帰ってらっしゃい。お酒を飲み過ぎないで。羽目を外さないように。謙虚な態度でね」

 最近の翔太はいちだんと大人びて、そんな小言は要らぬお節介であることは承知しているのだが、つい言いたくなってしまうのは母親としての(さが)であった。

「おふくろもいっしょに、ル・ジャルダンに行こう」

 翔太はしきりに誘い、横田も「是非にと」勧めてくれたが、綾乃はあえて固辞した。代わりに、さくらへのプレゼントを託すことにした。さくらの名前にちなんで、さくらの柄の美しい扇子を選んだ。

 綾乃は、一年半ほど前の横田の言葉を思い出した。

「翔太君を、二〇歳のお祝いにル・ジャルダンに連れて行ってもいいだろうか?」

 理由を尋ねると、翔太は大学受験のとき、

「難関大学に合格したら、ル・ジャルダンに連れて行くという賭けをしてほしい」

 と、横田に懇願したという。横田はその賭けを喜んで受けたのだが、合格したときに「さすがに未成年はまずい」と思い直し、「二〇歳の誕生日に引き伸ばしたのだ」と、愉快そうに綾乃に報告した。

 記憶が連鎖し、四年前、月の庭で翔太と鉢合わせした日のことを、綾乃は改めて鮮明に思い出した。あの夜、翔太は、こう言った。

「おふくろが夜中に働きに出るって言うから、そんなに家計がひっ迫しているのか、と心配になっていた」

 「会員制のバーの受付」という説明は、最初から疑っていたのだそうだ。

「おふくろは、嘘が下手だよね。小さなスナックの手伝いとか、小料理屋の手伝いとか、たぶん、そんな感じなんだろうと想像していた」

 そして、五反田のガールズバーへ行った理由も話した。

「おふくろもこんな感じで仕事しているのかなあって、想像していたんだよ。まさか銀座の本格的なクラブで働いているとは想定外だったなあ。わりあい、思い切ったことするよね」

 子供は、親が思っているよりもずっと早く大人になるのかもしれない。ずっと子供のままでいてほしいという願いと、もうすっかり母親の手を離れてしまった安堵感と寂しさが交じりあった不思議な気持ちを胸に抱きながら、綾乃は夕食の献立を考え始めた。そういえば最近、翔太の好きなオムライスを作っていなかった、と綾乃は思い出した。

 昼間の仕事は、やりがいがあって楽しめた。横田は、心から尊敬のできる上司であった。四年前のル・ジャルダンと月の庭での巡り合わせを、あらためて感謝を込めて思い出す綾乃であった。

 


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